城下町のご案内(朝倉)

秋月城下町(朝倉市秋月)

秋月城下町  (朝倉市秋月)

筑前の小京都秋月は、中世には秋月氏16代の本拠地であり、近世になって黒田長政の三男長興が秋月藩5万石を分知されて、現在の秋月の原型となる町づくりを行い、明治まで城下町として栄えました。「秋月千軒」とうたわれた賑わいは現在では既に失われましたが、周囲の山々と町を流れる水系の美しさと伝統的町並みが調和して、他の地域にない情緒ある景観が守られており、年間を通じて多くの人々が訪れています。
国 重要伝統的建造物保存地区 平成10年4月17日選定

秋月城跡(朝倉市野鳥)

秋月城跡

元和9年(1623)、福岡藩主黒田長政の遺命により、三男長興に夜須郡・下座郡・嘉麻郡の内五万石が分与され、秋月藩が成立しました。長興は、翌寛永元年秋月に入り、陣屋形式として整備したのが秋月城。この城の前身は、秋月を知行地として与えられていた長政の叔父、黒田直之の居館であり、直之の死後10年以上放置されていました。城内は表御殿と奥御殿の二つに分かれ、背後に山、前面に堀・石垣・櫓を設け、出入口は前面の二ヶ所のみとしました。
県 史跡 昭和55年3月1日指定

秋月城本門(黒門) と長屋門(朝倉市下秋月)

秋月城本門(黒門) と長屋門

黒門は現在、秋月黒田藩祖 長興を祀る垂裕神社の参道に移築されていますが、本来は秋月城の大手門として、城の前面堀割にある瓦坂の奥に建っていたものです。形式的には江戸初期のものとされていますが、世秋月氏の本城 古処山城の搦手門であったという伝承も残っています。長屋門は奥御殿へと至る門であり、原位置に残っています。昭和62年より解体修復工事を実施し、嘉永3年(1850)に建てられたことがわかっています。
福岡県 有形(建造物)  昭和36年4月18日指定

杉の馬場(朝倉市秋月)

杉の馬場

朝倉市の北部に位置する「九州の小京都」といわれて名高い城下町・秋月。歴史情緒たっぷりの雰囲気漂う山間の小さな城下町にある約500mの桜並木は、通りの両サイドに並ぶ約200本の桜のトンネルを呈し、大自然のこのうえない美しさと城下町の歴史的景観が見事にマッチしています。夜は約500mの杉の馬場通りに裸電球が並び、幻想的な光景です。毎年4月第1日曜日には秋月春祭りが行われます。

石造秋月の目鏡橋(朝倉市下秋月)

石造秋月の目鏡橋

この橋は、秋月藩が福岡本藩に替わって勤めた長崎警備がきっかけで架けられたものです。文化7年(1810)の竣工で、郡奉行 江崎半右衛門の指揮のもと、長崎から招かれた石工たちによって築かれました。石材が秋月で採れる花崗岩を使ったためか、一度は完成寸前で崩れ落ちたと記録されています。藩の財政が逼迫していくなかで、木橋の4倍もかかる費用を投じて造られたこの橋は200年を経た今日でも人々の生活を支えています。
福岡県 有形(建造物)  昭和31年4月3日

秋月のキリシタン灯篭(朝倉市秋月)

秋月のキリシタン灯篭

博多・長崎で活躍した商人である末次(興善)善入の屋敷跡から明治時代中ごろに出土したといわれています。この形は一般に「織部燈篭」といわれ、路地での「茶会」に用いる灯篭ですが、一方でその意匠からキリシタン信仰と関連付けられて、「キリシタン灯篭」ともいわれます。出土伝承地から推測して、慶長期(17世紀初頭)の秋月キリシタン信仰を伝える可能性が高く、当時の文化を語るうえで貴重な文化財です。
朝倉市 有形(石造物)  平成21年2月23日指定

旧田代家住宅(朝倉市秋月)

旧田代家住宅

旧田代家住宅は、秋月藩の上級武家屋敷で、城下町に残された武家屋敷の中でも規模が大きく、主屋・土蔵・門・土塀・庭園という屋敷地の要素を全て有しています。
田代家は、寛永元年(1624)秋月藩成立時、初代藩主黒田長興(長政三男)に付けられた家老、田代外記(政純、2,000石)からはじまります。
建物の年代は、文化11年(1814)9月に田代家焼失の記録があり、翌年までに再建されたものと思われます。建物復元にあたっては、武家屋敷としての遺構が多く残る江戸後期頃の状態を再現しています。
朝倉市 有形(建造物) 平成17年11月1日指定

秋月のツゲ原始林(朝倉市野鳥)

秋月のツゲ原始林

国有地の特別天然記念物の「古処山ツゲ原始林」に続く重要な地域で、約3haにおよびます。近世、秋月黒田藩では周りを山に囲まれていることもあって、山林を大事にする政策がとられてきました。そのおかげで、貴重な原始林が守られてきました。
福岡県 天然記念物 昭和38年1月16日指定

秋月城跡出土の高麗鐘

秋月城跡出土の高麗鐘

昭和63年(1988)、秋月城内より出土したこの高麗鐘(通称、朝鮮鐘)は、11世紀前半頃に朝鮮半島にて製作されたものです。胴部中央には「筑前國下座郡・・・永和三年(1377)・・・」の銘文が追刻されています。日本には現在、朝鮮鐘が47口あり、その多くは中世和冦による掠奪品とみられています。永和年間もまた和冦が盛んであった時期で、この鐘もそういった経緯を辿っているのかもしれません。
福岡県 有形(考古資料)  平成13年2月21日指定
保管:甘木歴史資料館


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