城下町のご案内(日南)

飫肥城下町

ゆるやかな時が流れる伝統と文化が息づく九州の小京都

飫肥城下町

大きく湾曲した酒谷川に包みこまれるように存在する、飫肥城と飫肥城下町。ここはかつて地域の中心として抗争と繁栄を繰り返した歴史の舞台であり、その面影を今に残します。五万一千石の城下町の風格ある町並みと風情漂う文化は今にも受け継がれ、九州の小京都とも呼ばれています。

明治の初めに取り壊された飫肥城が、往時の面影を取り戻したのは昭和50年代。樹齢百年を超す飫肥杉を使って、飫肥城の玄関口である勇壮な大手門が復元されるとともに、飫肥城歴史資料館、松尾の丸が相次いで築造されました。城下には武家屋敷や白壁の商家、蔵、苔むした石垣などが残り、また文化財や史跡も数多くあります。昭和52年には九州で初めて、国の重要伝統的建造物保存地区に選定されています。

飫肥独自の文化として知られているものに四半的がある。これは飫肥藩に伝わる女性にも楽しめる半弓。射場から的まで四間半、弓矢ともに四尺五寸、的が四寸五分で、すべて四半であることから四半的と呼ばれています。飫肥城内の四半的射場で誰でも体験できるので、気軽に挑戦してみてください。

 


 

 

 

大手門

飫肥城大手門

明治4年(1870)に取り壊された大手門を昭和53年(1978)に樹齢100年の飫肥杉を使用して復元した木造渡櫓、本瓦葺きで、どつしりと重厚な造りの櫓門。

 


 

 

鯉の遊泳

鯉の遊泳

城下町の中心に流れる堀割約100mには錦鯉など約100匹が遊泳しています。昭和53年の飫肥城復元を機に鯉の放流が始まりました。

 


 

 

豫章館

明治2年、伊東祐帰が飫肥藩知事に任ぜられて城内よりこの屋敷に移りました。その時、邸内にあった樹齢数百年の火桶にちなんで豫章館と名付けられました。母屋は明治初期に造られた建物で飫肥藩の典型的な武家屋敷です。南面は武学流の作庭といわれる庭園で、広い空間に庭石や石灯籠、庭木などが巧みに配置され、愛宕山を借景した庭園です。

[問い合わせ先]
小村寿太郎記念館
[TEL]
0987-25-1905

松尾の丸

飫肥城は周囲2.7kmの城内に松尾の丸、中の城、本丸等の郭(くるわ)を配した平城です。伊東、島津の攻防など約500年におよぶ歴史ある城です。この松尾の丸は昭和54年飯肥杉の100年杉を使用し時代考証を重ね、江戸時代初期の書院造りの御殿として再現されました。

[問い合わせ先]
小村寿太郎記念館
[TEL]
0987-25-1905

飫肥城歴史資料館

飫肥藩伊東家の城下町飫肥には多くの文化財が残されています。この貴重な文化遺産を保存し、公開するために昭和53年に開館した。現在飯肥藩ゆかりの歴史資料約150点が展示されています。主な展示品は甲冑、刀剣、女乗り物(駕箭)、武具、古文書、衣服等。

[問い合わせ先]
小村寿太郎記念館
[TEL]
0987-25-1905

小村寿太郎記念館

日本近代外交の礎を築いた明治の外交官・小村寿太郎侯の遺徳を顕彰し、国際交流、教育文化活動及び世界に飛躍する人材育成に寄与することを目的に設置されました。小村侯の業績等を紹介した資料なども展示されています。

[問い合わせ先]
小村寿太郎記念館
[TEL]
0987-25-1905

旧藩校 振徳堂

天保2年(1831)飯肥藩13代祐相公により開校され、孟子の教えにあたる「又従而振徳之」から振徳堂と名付けられました。教授には安井滄洲、息軒親子らを招き、基礎を固めました。小村寿太郎も振徳堂で学んだ一人です。

[問い合わせ先]
小村寿太郎記念館
[TEL]
0987-25-1905

四半的射場

飫肥藩に伝わる半弓で、射場から的まで四問半、弓矢ともに四尺五寸、的が四寸五分で、すべて四半であることから四半的と呼ばれています。

四半的射場料/試射 8射…450円

[問い合わせ先]
小村寿太郎記念館
[TEL]
0987-25-1905

 


 

人力車

人力車

大手門を中心に人力車乗車体験ができます。

[問い合わせ先]
小村寿太郎記念館
[TEL]
0987-25-1905

 
 
 


 

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